長野県小布施町の修景事業についてもう少し

投稿者: K plus llc. 投稿日:

5月のKplusサロンで、前町長であり桜井甘精堂の会長である桜井佐七さんにお話し頂いた、小布施町の「修景事業」について、もう少し説明いたします。

小布施町に「北斎館」が開館したのは、今から約50年前の1976 年。
当時は、「田んぼの中の美術館」と呼ばれたほど、その周囲には何もなかったそうです。が、次第に小布施が「北斎の町」として脚光を浴びるようになり、観光客が激増しました。
観光客が増えることは良いことでありますが、必ずしも地域にとって良いことだけをもたらすとは限らないと考えられていたそうです。

例えば交通量。他府県ナンバーの車が一気に増えてしまえば、町民の毎日の生活に支障をきたしてしまいます。

北斎館の近くに高井鴻山の旧宅を改築した「高井鴻山記念館」を作る計画が持ち上がった際に、「小布施町並み修景事業」が始まったそうです。

事業者、金融機関、町管理施設と住民の合議により実施されたこの修景事業。
単なる町並み保存ではなく、既存の建物の配置替えをすることによって、地域住民が楽しい日常生活を維持できるように、また、その結果として、観光客もその楽しさを体感したいと訪れる町を作ることが目的でした。

「小布施町並み修景事業」では、周囲の景観との調和と美しいまちづくりのための指針「環境デザイン協力基準(住まいづくりマニュアル)」が作成され、住民の間に「家の外は皆のもの、家の内は自分たちのもの」という意識が芽生えたそうです。

葛飾北斎も眺めたかもしれない、高井鴻山記念館の二階からの景色。

ヨーロッパの美しい町並みがそうであるように、小布施の町では同系色の同じ様式の屋根の建物が並び、町の中心部でも原色を使った大きな看板や自動販売機を見かけません。

調べてみると、「環境デザイン協力基準」に、「自動販売機は、道路に面して直接設置しないように心がける。表に設置する時は、商品ボックスが見えないように工夫する。」と書かれていました。

小布施のような町が日本に増えていったら、どんなに素晴らしいことでしょう!