【Kplusサロン】#48 長野県小布施町の魅力

投稿者: K plus llc. 投稿日:

第一部と第二部に分かれてしまっていたため、スケジュール配分に悩まされたゴールデンウィークも終わり、ふと気付くと、5月も半ばになってしまっておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

さて、毎月第一水曜日はKplusサロンの日!5月7日の第48回目のKplusサロンでは、長野県小布施町の前町長であり、老舗栗菓子屋「桜井甘精堂(さくらいかんせいどう)」会長の桜井氏をゲストスピーカーに迎えました。

我々が桜井氏に初めてお目にかかったのは、2017年の8月。経済産業省関東経済局の「ホテル・コンシェルジュによる地域の魅力発見・発信事業」にて、東京都墨田区と長野県小布施町の2つの町を訪問した時でした。その時には、桜井氏は昌季さんというお名前でしたが、今回は佐七さんというお名前に改名されていました!桜井甘精堂の五代目であり曾祖父様のお名前をお祖父様、お父様に続いて襲名されたとか。欧米風に言えば、Mr. Sashichi Sakurai IV というところでしょうか!

そんな桜井氏に小布施町の魅力を語って頂きました。

小布施町がどのような町かご存じですか?
南北に長い長野県の北部にある県内で最も小さな町です。

何と言っても、小布施は栗の町として知られているので、ご存じの方も多いかと思います。

小布施には7件の栗菓子屋があるそうなのですが、その関係性がとても興味深いのです。
各社は価格競争ではない競争をしており、ターゲット層を分けているので、きちんと住み分けができているとのこと。それは一軒でもつぶれてしまうと小布施の魅力が下がってしまうため。競争しながら共存しているとのことで、小布施の町を魅力的にしている一つの大きな特徴ではないでしょうか?

また、小布施町は葛飾北斎が晩年に何度も訪問し、多くの作品を残した地であることも知られており、北斎の肉筆画を多く所蔵する北斎館があります。

「男浪」と「女浪」の怒涛図は、北斎が1845年から2年がかりで上町祭屋台の装飾として描いたもので、北斎館で本物を見ることができます。

なぜ、北斎は小布施を訪問したのでしょうか?それは、小布施町の豪商であった高井鴻山がスポンサーとなり、贅沢が禁止された天保の改革で創作活動が難しくなった北斎を呼び寄せたためだったのです。北斎は晩年、4度小布施町を訪れ、鴻山の求めに応じて作品を仕上げたと言われています。

特に、葛飾北斎晩年の大作で、孔雀石や鶏冠石など高価な鉱石を使った絵具をコストを度外視して使って描かれた岩松院の天井画『八方睨み鳳凰図』は必見です。北斎にとっての鴻山は、ミケランジェロにとってのメディチ家のような存在であることは、あまり知られていないかもしれません。

小布施町が魅力的で、街歩きが楽しい町であるのも、この鴻山の「おもてなしスピリット」が現代にも生き続けているからかもしれません。

民間で土地の物々交換を行い、修復でもなければ改築でもない「修景事業」や、約150軒の一般の住民が「どうぞ庭をご自由に見てください」と自分の庭を一般公開する「オープンガーデン」などによって、小布施は訪問する人々が楽しく街になっています。

東京から車で約3時間。

電車では、北陸新幹線で長野駅まで行き、長野電鉄に乗り換えて小布施まで。

ちなみに、スノーモンキーで有名な地獄谷野猿公苑は長野電鉄の終点、湯田中駅が便利!
近隣地域も魅力的な場所が多い小布施町に是非、訪れてみてください。