【合同会社K plus 創世記】 Vol.11 ~2000年の眠りを経て花を咲かせた古代蓮の如く~ 岩手県一関平泉地域篇 PART 2
平泉といえば中尊寺。中尊寺といえば奥州藤原氏。奥州藤原氏といえば…
はて…?
中尊寺といえば源義経の最期の地。義経といえば弁慶。弁慶の最期の地も中尊寺。そもそも義経と弁慶はなぜ中尊寺で最期を迎えたのか?
はて…?
NHK大河ドラマや歌舞伎「勧進帳」を始め、多くの戯曲や小説でも題材としてよく取り上げられたり、「弁慶の泣き所」や「内弁慶」などという慣用句にも登場したりする超有名人の弁慶。そして、誰もが一度は聞いたことがあるだろう「牛若丸」という幼少期の名前を持つ義経は、「義経のスマホ」という斬新なドラマ(NHK)もありますが、なぜこの二人が奥州へ?
はて…?
日本史がお好きな方々にとっては、とてつもなく深くまで掘り下げたくなるところだと想像しますが、私を含め、日本史の授業をサラリと通過してしまった人にとっては、知らないとはどうしても言えない、けれど、知ったかぶりをするにも限度がある、「歴史の関門」かもしれません。
※歌舞伎「勧進帳」の六方(ろっぽう)は、歌舞伎を見たことがない方でも、「歌舞伎といえばこのポーズ!」と見覚えがある場面なので、↑のリンクをクリックしてご覧になってみてください。
話がかなり反れました。
歴史資料によると、奥州藤原氏の初代当主である藤原清衡(きよひら)は、1105年、50歳の頃、それまでの戦いに明け暮れざるを得なかった半生に区切りをつけ、平和な世の中が訪れることを祈るために、釈迦如来と多宝如来を安置するお寺を築いたのが、中尊寺の創建のきっかけであったとされています。
戦乱によって家族を失い、兄弟と戦わなければならなかった清衡の「非戦」の決意の現れとして、この地に仏教の教えを基盤とした平和な理想社会を築こうとし、金色堂には、極楽浄土を表現するために金箔や螺鈿(らでん)、象牙、宝石などが惜しみなく使われています。
(ただし、金の部分について、『東方見聞録』に記されている「指二本分の厚さの黄金でできている」という記述とは異なり、実際には漆を接着剤として用い、その上から金箔を貼り、金粉を撒いて仕上げられているそうです。)
金色堂内部の須弥壇には、藤原清衡、基衡、秀衡の三代の遺体が安置され、奥州藤原氏の滅亡のきっかけとなった四代目当主・泰衡の首も納められています。
なんと、その泰衡の首が納められている首桶から約100粒の蓮の種が発見され、平成1998年に800年あまりの眠りから覚めて開花したとか!?<中尊寺ハス>
金色堂の中の豪華な装飾が表現する極楽浄土も大変興味深いのですが、輪廻転生を想起させる奇跡の蓮を見て、平安時代と令和の時空の歪みに身を投じてみるのも一興です。
義経と弁慶の謎についてはPart3にて