【合同会社K plus 創世記】 Vol.5 ~ネオ・トラディショナルな町~ 埼玉県秩父地域篇 Part 1
2016年に始まった「ホテル・コンシェルジュによる地域の魅力発見・発信事業」で我々が訪問させて頂いた2番目の地は埼玉県の秩父市でした。

広辞苑によると、トラディション=伝統 とは「ある民族や、広社会・団体が長い歴史を通じて培い、伝えてきた信仰・風習・制度・思想・学問・芸術など」を指すそうです。
長い歴史を通じて培われる伝統も、そこには必ず出発点があり、その時点では「新たな挑戦」だったにちがいありません。長い歴史を持つ秩父でも、古い伝統の踏襲と並行して、新たな伝統<ネオ・トラディション>となるべく生まれている「新たな挑戦」がありました。
秩父は長い歴史を持つと↑で書きました。
その歴史は紀元前にまでさかのぼり、縄文時代以前から人が生活をしてきたと言われており、東国では最も初期の段階に知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)という国造(くにのみやつこ)が派遣された武蔵国の原点でもあったそうです。


「国造」という漢字、読めました???遠い昔、日本史の教科書で習ったなという薄い記憶が脳のどこかに隠れているはずですが、それを思い出せば、「あっ!大化の改新の前の話ではないか!」とも、芋蔓式に思い出した方も多いのではないでしょうか?
歴史の話をもう少し続けると、平安時代には馬の産地であり、秩父産の馬は天皇に献上されるとともに、当時の日本の輸送の一部を支え、馬の飼育や管理に携わっていた人々が全国各地に派遣されて、武士の国の基盤も作られたとか…

近代に時計を進めると、秩父の守り神的存在の山、武甲山は良質な石灰岩の山で、大規模な石灰採掘が大正時代から始められ、第二次世界大戦後の東京のインフラ整備を支えたのも、この山の石灰岩でした。
秩父は、まさに、日本という国を支えたバックボーンの一つと言っても過言がなかったのですね。
電車で行くのであれば、池袋からレッドアロー号に乗り、1時間半ほどで到着する秩父。
次回の更新では、秩父で我々が見せて頂いた、ネオ・トラディションを紹介いたします。
<Part 2へ続く>