【合同会社K plus 創世記】 Vol.4 ~葛飾北斎ゆかりの地~ 東京都墨田区篇
前回から、経済産業省・関東経済産業局の「ホテル・コンシェルジュによる地域の魅力発見・発信事業」で我々チームが訪問した順番通りにアップするという自己縛りを解放させて頂きました。
というわけで、本日から数回にわたり、2017年に訪問した東京都墨田区についてお話しいたします。
墨田区は、長野県の小布施町との繋がりで選定された場所です。この遠く離れた地を結び付けたのは、かの葛飾北斎でした。
葛飾北斎(1760-1849)は、日本はもちろん、海外での人気も非常に高く、特に今年は、つい先日発行された新紙幣、千円札の裏面に、「富嶽三十六景」の「神奈川沖浪裏」が描かれていることで、さらに注目されていますよね。

北斎がいなければフランスの「印象主義」の運動は起こらなかったのではないか?とも言われています。が、葛飾北斎の作品が国境を越えて絶賛されたのは、彼の死後。1867年にシャン・ド・マルスで開催された第2回パリ万博のことであったそうです。以降、この新千円札にも採用された「神奈川沖浪裏」が日本文化のアイコンになってきました。

その葛飾北斎の生誕地が東京の墨田区なのです。北斎は、90歳の生涯で93回も引っ越しをしたと伝えられていますが、彼の最後期を支えるパトロンとなる高井鴻山(たかいこうざん)を訪ねるべく、260キロ離れた長野県小布施町に徒歩で出掛けたそうです。
令和の世では、墨田区の駒形ICから首都高6号線に乗り、外環道を経由して、関越道、上信越道を走れば、快適な3時間半のドライブで行くことができますが、江戸時代(天保期)の徒歩の旅は、延べ約50時間。計算してみると36万歩超の旅程でした!
高井鴻山邸に滞在し、北斎のために用意された「碧漪軒(へきいけん)」という名のアトリエで数々の肉筆画を残しました。
驚くべきことは、北斎が小布施に移住したわけではないのです。36万歩の旅を合計4回も繰り返したとか!しかも、当時の北斎は80代!なんというアクティブさ!!
墨田区と小布施の二つの町に、北斎美術館があります。美術館はもちろん、この二つの町を訪問してみてください。北斎の足跡を肌で感じて頂ければと思います。
墨田区と言えば、スカイツリー!
スカイツリーの足元に広がる墨田区の「江戸×昭和×令和」の素敵なコラボレーションを楽しむ方法を、次回紹介いたしますので、お楽しみに!
